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1-2 至るところに、悲しい不幸が見られます。ある人は神から巨万の富と名誉を与えられ、欲しいものは何でも手に入る身分でありながら、人生を楽しむだけの健康に恵まれていません。そのため早死にして、全財産を他人の手に渡すことになってしまいます。これは実に悲しむべきことで、やりきれない思いがします。

一方でもし、百人の息子と娘に恵まれ、長寿を得ながら、わずかばかりの遺産もなく、満足な葬式さえ出せなかったとしたら、この人は生まれて来なかったほうがよかったかもしれません。 たとえその誕生が喜ばれず、闇から闇に葬られ、名前さえつけてもらえず、 その存在さえ知られないとしても、死産の子のほうがみじめな老人になるよりずっとましです。 何千年生きたとしても、満足することがなければ、生きていることに何の価値があるのでしょう。

7-8 知恵ある者も愚か者も、

食べ物を得るために人生を費やすが、
もうこれで十分だということはない。

そういう意味では、どちらも同じです。しかし、貧しくても知恵ある人は、ずっと良い生活をしています。 手の中の一羽の鳥は、やぶの中の二羽より価値があります。あこがれているものを夢見ているだけであればむなしいことで、風を追いかけるようなものです。

10 あらゆるものには定めがあります。それぞれの将来は、ずっと以前からわかっているのです。だから、自分の運命について神と議論しても無駄です。

11 しゃべればしゃべるだけ、口にすることばの意味が薄れてきます。だから、全然しゃべらないほうがましなのです。

12 短くむなしい人生を、どのように過ごすのが最善なのかはだれにもわかりません。死んだ先のことまで考えると、何が最善かを知ることはできません。将来のことがわかる人は一人もいないのです。